ワシントン情報、裏Version
2004年1月26日
竹中正治
「Praise! American Pricing」
【不覚】
昨年4月に自家用の自動車を買った時のことである。自動車保険も自動車ディーラーが一緒に手配してくれるかと思ったら、全く手を貸してくれない。既に自動車の引取日になっていたが、無保険だと引渡しができない。ディーラーに至急どこか紹介してくれと言ったら、GEICOを紹介され、ディーラーの店から直接電話で申し込んでバタバタと契約した。査定された保険料は直感的に高いと思ったが、日本での免許保有歴(私は21歳の時に取得)は考慮されないので、まあ仕方がないのか思った。その後「保険料が高い」と人に尋ねてみたこともあるが、「初めて米国に来た外国人の場合、保険料は自動車ローンの月額元利返済額並みになるのは普通」と言うので、仕方がないかと思い、それ以上事後のショッピングをしなかった。なんとも不覚であった。
最近、他の人と保険料を比較してみて、やはり高過ぎると気がついた。そこである方が利用している在カリフォルニアの日本人経営の保険代理店に無料査定を申し込むと(インターネットのホームページで簡単にできる)、なんと現在支払っている金額の3分の1の価格を査定された! 昨年の5月からGEICOに払った高額の保険料は一体なんだったのか? ボラれていたのか? 払わないで済んだのに払わされた金は100ドルでも口惜しい。1000ドルだったら10倍口惜しい!
日本人保険代理店の営業担当者から聞いたカラクリはこうである。無事故運転歴の長い被保険者の保険料は当然安くなる。反対に事故歴がある人、運転歴のない人の保険料は高くなる。日本人に限らず、米国の保険会社は外国人の海外での運転歴は普通査定に加えないから、未歴ドライバーとして高い保険料が課せられる。 ところが同代理店は大手保険会社トラベラーズと特別の包括契約を結び、日本での自動車免許保有歴、運転歴を米国のそれと同様にカウントして保険料を算定する方式を採用している。
即刻、GEICOに電話で解約を通告し、同社に乗り換えた。「即刻解約の許容」は米国では保険会社に義務づけられており、期日までの支払い済み保険料は日割りベースでリファンドされる。
【顧客のセグメント化と在米履歴絶対主義】
この経験で改めて痛感したのは、米国では顧客を分類し、セグメント別の価格体系が徹底されていることである。しかしスコアリングによるセグメントの方式は各社毎に異なるし、あらゆるケースをカバーするような完璧なスコアリングはない。米国に来て日が浅く、潜在的には「良質被保険者」でも、スコアリング方式が「外国人」という特殊なケースに対応していないので、結果的に不利な査定を下されるのである。
クレジットカードも同様である。クレジットカード会社は、申込人のクレジット・ヒストリーを基準に、カード審査を行う。米国に来たばかりの外国人は、私の様に「超良質顧客」でも米国でのクレジット・ヒストリーがないので(あたりまえだ!)クレジットカードの発行を断られたりする。 「大手日本企業の所長で、年収はこんなにあります」と言っても考慮されない。実際私は昨年3月AMEXに断られた。こういうことは前回米国に赴任した80年代前半にはなかった。 この「クレジット・ヒストリー絶対主義」の起源は正確には知らないが、90年代に徹底・普及した傾向である。
私は米国のセグメント化されたリテール・ビジネス・モデルに文句を言っているわけではない。反対である。これはとても合理的なシステムである。米国に来たばかりの外国人のような様々な特殊なケースにも万全の対応をしようとすれば、コストがかさむ。SS番号による履歴データチェックならば、インターネットで単純かつ瞬時に完了する。自動車保険の場合、海外での免許保有歴を証明する書類など徴求・審査して査定に反映させようとすれば、経費も人件費も増加する。そういう場合は、手間をかけずに最高リスク・セグメントに分類し、最高価格を要求する。「いやなら結構、他へどうぞ」が一番合理的である。そのことで失う顧客は全体の数%でしかないならば、潜在的な顧客の90%を最小のコストでカバーする方が効率的である。しかもまた、取りこぼす数%のニッチな市場に特化した上述の日系保険代理店のような業者も生まれて来るのであるから、この面では市場機能は有効に働いている。
米国では、銀行預金開設、保険申込み、クレジットカード発行、ローンの借入れ、賃貸住宅契約など実に多くの場合にSocial
Security番号の提示を求められる。SS番号が一種の「国民背番号」となって、クレジット・ヒストリー情報がファイルされ、業者が審査に利用できるシステムが確立しているからである。 自動車保険の場合は「事故歴」データがファイルされ、保険会社は必ずクレジット・ヒストリーと事故歴データをチェックする。米国に来たばかりの外国人は双方とも無データであるから、この点でも不利に査定される。 業者の立場から見れば、こんなに便利なものはない。この情報インフラがなければ、米国の保険や金融のリテールサービスは成立たない。
【一泊99ドルの上級ホテル】
顧客の質に価格が依存しないサービスの場合はどうか? ホテル、飛行機料金などは顧客のクレジット・クオリティーにほとんど依存しない。こうした分野は、むしろ供給側の稼働率に価格が依存する。従って日取り、時間によって大きく変動する価格体系が90年代以降徹底した。インターネットでホテルを検索・予約すると実に様々な価格水準に遭遇するので面白い。通常一泊250ドルからのホテルが稼働率次第で99ドルで予約できてしまったりする。 ワシントンへの来訪者、出張者にどこのホテルを予約したら良いかと相談されると、私は「任せなさい」と言ってインターネットでショッピングして予約してさし上げる。12月に国際通貨研の専務理事(元当行常務)の浅見さんが、ワシントンに来訪された時は、一泊99ドルのホテルを予約し、「本日お泊り頂くホテルは一泊99ドルです」と申し上げたら、一瞬ぎょっとされていた。しかし通常は一泊280ドルからの上等なホテルである。
【一律価格体系に隠された不公平性】
日本でもようやく顧客をセグメント化したサービスと料金システムが増え始めたが、米国に比べるとまだ初期的な段階にある。これまで日本では均質のとれたサービス、価格の標準化が支配的だった。そのひとつの理由は、米国のようにSS番号を共通のリファレンスにした「国民背番号」と横断的な情報インフラが確立していないからである。しかしそれ以上に重要な原因は、金融、保険、医療、教育などにおける官業シェアーの高さである。官業事業は、リスクに応じて異なるコストを利用者に求めず、一律的な価格に基づく「公平なサービス」の提供を理念としている。官業のシェアーが大きいので、同種の民間サービスも同じ条件に収斂を余儀なくされる。こうしたシステムは供給されるサービスの絶対量が基礎的な需要に比べて不足しがちで、量的な確保が社会的な優先課題であった状況下では合理的だった。しかし他先進国への経済的キャッチアップを実現し、更に一段の豊かさを目指すためには、サービス内容と価格の多様化が必要である。官業の解体と民業へのシフトが構造改革の主要課題として求められる理由がここにある。
従来の一律性に安定感や安心を感じる人も依然いるのであろう。しかし保険料の場合の一律性とは、「良質なユーザー」が「低質なユーザー」相手に割を食っていることを意味する。あるいは「低質なユーザー」が自分に見合ったコストを負担していないということである。一律価格による「表見的な平等性」は「実質的な不平等・不公平」でもあるのだ。その社会(共同体)の価値観に照らして、守るべき最低限水準のセイフティーネット的なサービスの供給には、内容の均質と価格の一律性を設定するのは妥当であろうが、それを超えた部分は市場原理に委ねるのが「実質的な公平」であろう。
また供給者の稼働率に依存したプライシングは、不安定で安心できないように感じる人もいるのだろう。しかし逆に少々不便な時期や時間帯でも安くすませたい、あるいは高くても好みのタイミングを優先したい人には、選択の自由度の拡大である。業界と監督官庁による従来の「調整の枠組み」が崩れつつある現在、日本でも米国流のプライシングが次第に普及するのは必然的だと思う。
【手のひらを返したように、クレジット・カード・オファーの乱舞】
ところで当地に来て9カ月が経過した頃から、クレジット会社からクレジットカードのオファーが郵便でバンバン舞い込むようになった。一応多少の金額で自動車ローンなどを利用したので、私のクレジット・ヒストリーが出来てきたからである。 昨年春に私のクレジットカード申込みを却下したAMEXなんかも、ぬけぬけとオファーレターを送って来る。 「手数料なし、当初1年間Zero
Interest Rate」だから「不要だと思っても捨てるな!申し込んでください!」と書かれたオファーレターが執拗に来る。勿論破いて捨てる。クレジットカードなど普及したブランドのものが1つか2つあれば十分で、それ以上は財布が太るだけでうっとうしい。 「いつもニコニコ現金決済主義」の私は通常はデビットカードしか使わない。クレジットカードのクレジット機能の馬鹿高い金利など、生涯利用しないと心に決めている。私のような日本人ばかりだと、例えば“バンクワン”は「こまってしまって、ワンワンワワ〜ン」なのだろが、私には関係ないことである。この点で私は典型的な(古典的な?)日本人である。
以上