ワシントン情報、裏Version
2004年2月13日
竹中正治
「りんたろう、日本アニメ職人の心意気を語る」
【全ては「鉄腕アトム」とともに始まった】
「りんたろう」と言えば、「鉄腕アトム」に始まり、「ジャングル大帝」、「ムーミン」、「銀河鉄道999」、「火の鳥」、「メトロポリス」などTVアニメ、映画アニメの製作・監督をして来た日本アニメ界の巨匠である。 りんたろう氏が外務省の招きで海外ツアーをし、2月6日金曜日夜にワシントンDCにも来て、「Japan Animation: Its Past and Future」と題した講演会を日本広報文化センターですると聞いた。広文センターのスタッフの方が、「竹中さん、お好きでしょう」と教えてくれたのである。図星だった。
日本でならアニメファンが殺到する企画だが、ワシントンDCでの講演でどのくらい人が集まるだろうかと思った。しかし会場に着いて驚いた。老若男女、紳士淑女が押すな押すなの長蛇の列をなしている。しかも8割方が米人である。米人の日本アニメファンが当地にこれほどいたのか! 小型の劇場ほどある会場は最後尾の列まで人でぎっしりとなった。 英語の逐語訳による講演だったが、りんたろう氏の話は簡潔で面白く、英語で聞いていたアメリカ人にもよく伝わったことが聴衆の反応からはっきりと感じられた。
りんたろう氏は最初冗談でイントロをかました後、Animationの語源を知っている人いますか?と問うた。私も知らなかったが、Animismだそうだ。なるほど、万物にSpiritがやどっていると考える原始宗教のAnimismは、2次元の絵がまるで生命を吹き込まれたかのように動き出すアニメの語源にピッタリである。 りんたろう氏は「生命を吹き込む仕事をしているボク達は自分らのことを『神様だ』と思っている」と言い放って笑った。 これは米人の耳にはウルトラC級のジョークだろう。
日本アニメ関連の海外への輸出規模が現在年間5兆円に達していると言う。本当か!?輸出大国日本の年間輸出総額は50兆円余りだから、アニメは総輸出の10%を占め、自動車、エレクトロニクス製品に次ぐ一大輸出部門と言うことになる。 確かに当地の米国TVプログラムでは「ポケモン」、「遊戯王」、「ハム太郎」が放映され、ビデオのアニメコーナーには「ドラゴンボール」を始め人気アニメがぎっしり並んでいる[1]。
【現代ジャポニズムとしての日本アニメ】
続けて日本の漫画・アニメ文化の原点として、12世紀の「鳥獣戯画」をスクリーンで紹介した。 筆を使った線描だけで、うさぎ、蛙、猿、雉、猪、鹿などをデフォルメしながら、生き生きと描き、ストーリーを展開する技は、確かに漫画、漫画の動画版としてのアニメの原点にふさわしい。江戸時代の浮世絵も紹介し、欧州絵画にはない日本特有の線描が現代の日本アニメに継承されていると語った。更に江戸時代の浮世絵が欧州近代の画家らに強い影響を与えたことと、現代の日本アニメがハリウッドのSF映画の製作者、監督らに強い影響を与えていることとを類似させてみせた。映画マトリックスのウォシャウスキー兄弟監督もターミネーターのキャメロン監督も日本アニメの大ファンだそうだ。
【技の集積、40年】
さて、1963年に米国でも放映された鉄腕アトム、Astro Boyの初回英語吹替版のさわりを上映した後、日本アニメの製作者達がどういう苦心で技術を磨いて来たかを語った。動画が自然な動きを見せるためには、一秒24コマを必要とする。しかし限られた制作費で毎週放映する番組を当時作るためには、一秒8コマで作成しなくてはならなかった。そうすると動きがカタカタとした動画になってしまう。そこで例えばボールが床に当たって弾むシーンだと、ボールの落下は、大きなセル画の上をボールを書いた小さなセル画を移動させて作成する。これだと1コマ分の製作で済む。床にぶつかって弾む場面に残り7枚を費やす。こうして様々な節約工程を開発、駆使して来た結果、それ自体が技の体系となり、日本アニメ特有の面白い動画を生み出してきたと言う。また人物の動きには、日本の古典芸能、例えば歌舞伎の動きから取り入れた様々な動作のパターンが技法化されているそうだ。
そうした説明の後、2001年の作品「メトロポリス」のさわりを上映し、鉄腕アトムに始まり、「ボク達が積み重ねて来た40年間の技術、技法の進歩がお判り頂けたか」と語った。言われるまでもなく、それは猿人が人になる程の大進化だった。メトロポリスには3Dコンピュータグラフィックも利用されている。例えば冒頭の巨大超高層都市の映像は100枚の画像を重ねて作成されているが、セル画だと100枚も重ねると当然透明でなくなってしまう。しかしデジタル画像なら原理的に幾らでも重ねることができる。しかし「コンピュータグラフィックの便利な点を利用しながらも、決して依存してはいない。メトロポリス冒頭の超高層都市画像の多くは手書きである。手書きでCGに負けないリアルな画像を作成できる技を持っている連中が集まって作成しているんです」と言って胸を張った。
【日本アニメ職人の心意気】
「日本のアニメ製作会社の数、資本の規模はどれくらいですか?」との質問を受けてこう答えた。 「大手は全部で5、6社、小さい企業も含めると沢山あってわからない。資本の規模? ボクは知らない。」 「日本アニメ産業が大きく成長して、巨大なビジネス規模となったと言いましたが、それはボク達のやっていることに商業ビジネスが群がって巨大市場になったと言うことであり、ボク達は昔も今も面白いものを作りたいと言う気持ちだけでやっている。特別金持ちになったわけでもないし、なりたいとも思っていない。日本アニメが海外で広く供給されるようになった今も、そのことで自分の考えが何か変わったと言うことはない。ただ映画だろうと、絵画だろうと、自分の想像力をかき立ててくれるものは何でも世界中に求めて吸収して来た。」
りんたろう氏は「職人」と言う言葉も「アーティスト」と言う言葉も使わなかった。社会的に自分の職業がどうカテゴリーされるかなどと言うことは考えもせずに、自分が面白いと思うものを作って世に出そう、その気持ちだけで40年やって来た。振り返ると、自分の歩いた後が大きな道になって大勢の人が歩くようになっていた。そうした生き方をして来た人なのだ。しかし、りんたろう氏の語る真髄は明らかに「日本職人の心意気」である。
「アーティスト」と「職人」の違いは何か? 私なりに定義すると、自分の創作したいものを創って、結果的に売れたり売れなかったりするのが芸術家・アーティストである。一方、受注があって始めて仕事が始まるのが職人である。だからアーティストは創作に好きなだけ手間隙をかけるが、職人は受注者との関係で時間と予算が限られており、その制約条件の中で腕をふるう。 両者の中間的な存在もあろうが、概ねこれで分類できる。職人の技は、時間と金の制約条件の中で無駄を省き、研ぎ澄まされて来たのだ。その技の真髄は、時代とともに形を変えても、基底的なレベルで共通する何か(それをりんたろう氏は「日本人のDNA」と呼んだ)となって連綿と受け継がれている。日本アニメは、今それが世界に広がって、新しい世代が新しい発想と新しい技法で継承しようとしている。氏の語ることを私はそのように理解した。
しかも「日本の職人」はいかに賞賛されるほどの大成功を遂げても、職人であることをやめようとしない。 「こんな面白いことやめらえっかい!」とばかりに、職人であることを貫徹しているのである。ビルゲイツが「コンピュータの職人」として大成功し、ITビジネス界の巨人経営者となり、金も特許も支配する存在に転じたのとは全く別の生き様をしているのである。
「ディズニーの『ライオンキング』は手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作だと言う批判が日本で当時起こりましたが、どう考えられましたか?」と言う質問が私の脳裏に浮かんだ。しかし、りんたろうさんの前では陳腐な質問だと私は感じて自分の言葉を飲み込んだ。
[2] 以上