ワシントン情報、裏Version

2004年3月8日

竹中正治

「♪決戦の金曜日、前編」

                    

【意図せざる前宣伝】

2月にKKC(経済広報センター)ワシントン事務所のレクチャー・勉強会に参加していた時のことである。講師の方のテーマは2004年の日本の外交と政治であったが、エコノミストのBert Elyさんが[1]、講演の内容の脈絡とは全く無関係に質問をした。 「新生銀行の株式上場で外人投資家が大きな利益を得たことが日本で反発をかっているそうじゃないか。そんなことで、日本の銀行セクターのリストラは本当に進んでいるのか、この先どう進むのか?」

 

講師は一瞬困り、なぜか私に視線を向け、いきなりふった。 「その問題へのお答えは、BTMの竹中さんにお願いしましょう!」  おお、こういう「かわし技」もありか!と思ったが、とりあえず引き取って、新生銀行上場の問題は「政治の舞台ではネガティブな反応が確かにあったが、株式市場では日本の投資家の買いも殺到して、とりあえず値を上げた。是非はともかくこれは肯定的な反応でしょう。双方の反応があるということですね。」とコメントした[2]。しかし銀行部門のリストラについては、舌足らずに中途半端なことを言いたくなかった。 そこで、「5日金曜日にCSIS(戦略研究所)で、正にそのテーマで私がプレゼンをするから、この問題はそちらでどうぞ」と前宣伝を行って、なぜか爆笑をかってしまった。「5日、CSIS、聞かせてもらおう」とBertさん。

 

【「日本の経済的な挑戦」は過去のことか?】

時間を少し前に戻して経緯を説明しよう。NYとワシントンでは日本経済についての関心の基本視点がやや違う。NYは金融、資本市場の街だから、大規模な日本株買いをしている投資家の関心が中心となる。ワシントンは政府と議会の街なので、通商問題が関心の中心となる。90年代前半までは日米通商問題がHot Issueだったから、ワシントンでの対日関心は高かったが、日本経済の長期低迷と半導体などハイテク分野での米国企業の優位が鮮明になるに従って日本経済への関心は低下した。 80年代に「脅威」だと思った日本経済を「もはや脅威ではない」と片付けて済ませる風潮が広がった。「日本の経済的な挑戦」は「ソビエト連邦の脅威」と同じ過去のものだと思いたいのである。 

 

しかし私は日本経済の復活を確信しており、「復活」の兆候が強まるにつれてワシントンの日本経済への関心もまた「復活」すると思って来た。 どうやらその時が訪れつつあるようだ。当地の米人も日本人もそうした日本のトレンド変化の話を聴きたがっている。私には確信があった。

 

【時は人を呼ぶ】

時は人を呼ぶ。当地に来てから知り合った元富士通総研のエコノミストで現在ハーバード大学ケネディースクールのSenior Fellowの栗原潤さんが3月にワシントンに来るので会いましょうという。渡りに船とはこのことだ。 「折角の機会だから、『日本経済復活』をテーマに二人で講演会をやりませんか? 私が銀行の復活、栗原さんが産業面の復活の話をすれば、内容としては最強の陣立てになりますよ」と持ちかけると、ご多忙にかかわらず、「やりましょう!」と意気投合した。CSISJapan Chair Breerさんにこの講演会企画を打診すると、Welcome!となり、あっという間に話がまとまった。日取りは35日金曜日である。

 

【この時を1年間待っていた】

所要1時間30分の講演会、私が自分のプリゼンに配分した時間は15分、続いて栗原さんが20分、残りは討議である。当地では講師が1時間も喋ったら、「俺にも言わせろ、私にも質問させて」と聴衆がフラストレーションを起こす。15分で効率よく聴衆に理解させる内容を組み立てなくてはならない。

 

さて当日、米人、日本人合わせて40数名が集まり、CSISの会議室が満席となった。当然、Bertさんも来ている。元国務省のオフィサーで現在富士通ワシントン駐在員事務所長のDavid Oliveさんもやって来て、“Hi! Takenaka-san! Kurihara-san!”と言って、親指をぐいっと立てた[3]

 

私は「この時を私は1年間待っていた」と切り出した。「本日語る私達の視点は短期の景気循環ではなく、長期のものである。90年代初頭からの日本経済の構造的な低迷がついに終わろうとしているのかが今問われている。私達の答えはYesである。」「.昨年の春、日本の大手銀行はついに底を打ったと直感したが、その直感を裏付けるデータはほとんどなかった。銀行の決算報告はひどいものばかりだった。それでも日本経済が復活に向けて構造変化を遂げている兆候はいくつかあったので、昨年7月に『進展する日本経済の構造変化』としてKKCでレクチャーした。」

 

「しかし投資家はデータの確証を待たずに直感に従って動き出す。昨年第2半期に日本の株が底打ち上昇し始めた時、ある米国のエコノミストは『ウォールストリートの一部の馬鹿な投資家が日本株を買っているだけだ』と笑ったものだ。しかし誰が間違っていたか、誰が正しかったか、もはや明らかである』と私はワシントンで最も有名な知日派エコノミストを脳裏に浮かべながら言った。

 

【打ち破られた桎梏、護送船団体制の崩壊】

「現在、構造的な変化の兆しはようやく(データで語れる)トレンドになり始めている。しかしこのトレンドはまだ早期の段階にあり、一時的なことだと思うことも容易である。しかし私はそうは思っていない。」「日本の企業部門の今年度総利益はデフレにもかかわらず、史上最高を記録する。頑固な悲観論者は、最高益を更新するのは上場企業全体の5分の1だけだと言って、まだ嘆いている。しかし私の見解は全く反対である。これは、日本の各産業の所得配分を支配していた護送船団システムが崩壊したことを示す良い兆しなのである。護送船団方式は成長企業にとってはもはや障害であり、日本市場はより競争的、開放的になったのである。」

 

「日本の自動車メーカーの競争力の強さは誰にも異論のないところだ。高収益を上げながら世界市場のシェアーを拡大している。エレクトロニクス産業は、新しいデジタル製品への需要急拡大に支えられて回復過程にある。この点は後で栗原さんが分析を提供する。 さて銀行部門はどうか? 見てみましょう。」

 

【大規模かつ激しかった日本企業のバランスシート調整】

この後、企業部門の総債務残高の名目GDP比率が95年のピークから30%以上、実額で165兆円も減少したグラフを示して言った。 「コーポレート・ジャパンの過剰債務の処理はあまりにも遅いと一般に言われてきたが、グラフの示すことはそうしたConventional Wisdomとは異なっている。過去10年の日本企業部門のバランスシート調整と債務整理は激しく大規模だった。 この結果、GDP債務比率はバブル以前の水準にほぼ戻った。 個別の過剰債務企業は当然存在しているが、マクロ経済の観点からは、債務問題はもはや日本経済の成長の障害ではない。 障害が残っているとすれば、企業家心理が長引くデフレを背景に萎縮したことであるが、それも企業収益の回復を受けて急速に改善している。」

 

【企業部門の回復と表裏をなす銀行部門の改善】

さて、企業部門の改善と表裏を成すのが銀行部門の不良債権処理の進展である。92年から昨年9月までに全銀行で処理された不良債権損失額の類型は実に91兆円、先ほど示した企業部門の過剰債務処理の過半が銀行部門の損失処理として実施されたのである。その結果、企業部門のGDP債務比率はバブル以前の水準に戻った。

 

この後、大手銀行(国有化されたリソナは除いた)今年度の与信コストの急減、不良債権比率の減少、最終利益の急回復を図表で示し、更にMTFGの不良債権比率は昨年9月に3.8%、この3月にはおそらく3%割れ、他3大グループも来年3月には政府目標の4%近傍の水準をクリヤーする速度で進んでいると述べた。更に日銀短観の貸出態度IDも示して、改善トレンドを指摘した。

 

「なぜここまで到達するのに10年以上の時間を要したのか? いくつか理由があるが、最大の原因は、米国の80年代から90年代初頭にかけての不良債権問題と比べても日本で発生した不良債権の規模自体が巨大だったことである。 例えば2001年の日本の銀行の不良債権総額はGDP8.6%であった。一方90年の米国のそれは1.3%でしかなかった。」

 

「ただし、私は銀行部門のリストラが終わったと言っているわけではない。地方金融機関は全体的には遅れている。それは地域の中小企業の保護を目的に政府が意図的に遅らして来たからである。しかし多少遅れてはいるものの、この分野でも金融庁はリストラを促進しており、昨年秋の足利銀行の国有化処理はそうしたステップのひとつだ。これからも第2、第3の「足利」が出てくるかもしれない。しかしそれが負の連鎖を起こして98年のようなクレジット・クランチを招くリスクはなくなっている。個別の破綻処理が経済成長全体の足を引っ張る状況ではなくなった。」

 

【残された課題、巨大な旧システム】

「さて、ところが日本の金融システムにはもっと本質的でチャレンジングな課題が残っている。巨大な「恐竜達」が現在も生き残っているのである[4]。郵貯簡保の資金残高は360兆円、実に日本のGDP規模の70%以上であり、この資金が特殊法人、政府系金融機関を通じて貸出、投資に向けられている。中でも最大の「恐竜」のひとつが住宅金融公庫である。貸出残高は73兆円、日本の住宅ローン残高の40%を占めている。しかも年間5000億円の政府補助を受けて低金利貸出を行っている。このことが日本の住宅ローン市場の金利形成をひどく歪めている。 実際、CITIグループは過当競争による低採算を理由に、2002年に日本の住宅ローンビジネスから撤退を宣言した。」

 

「問題の本質は、日本の貸出金利が債務者の信用リスクを十分に反映していないことにある。図表が示す通り、90年代を通じて銀行の平均貸出スプレッドは信用コストを吸収するには低すぎる状態に留まっている。その主因は、政府系金融機関を通じた低利ファイナンスの莫大な供給である。日本の金融制度の構造改革が今後進む中で、債務者の信用に応じて金利イールドがスティープ化することが必要不可欠だ。」

 

「そうした変革は本当に進むだろうか? 私の答えはYesである。コーポレート・ジャパンはもはや銀行を含む系列企業相互による株式の持合いに依存できなくなった。未だに日本企業は外国投資家に対して閉鎖的であるというイメージを持っている人が多いようだ。 しかし日本の全上場企業の発行株式の20%以上は現在海外投資家の保有である。この比率は米国では10%であり、日本の方が高いのである。一般のイメージとは裏腹に、日本企業は世界の資本市場に深く連結されている。より高いROEROAを求める海外投資家や独立系投資家の要求が日本の企業と金融市場を変えつつある。」「小泉内閣は、住宅金融公庫の民営化を宣告し、郵貯民営化を目標に掲げているが、以前として「旧体制の人々」の抵抗は強い。しかし日本の金融市場の将来の発展がこの改革にかかっているのである。」 

 

わたしは、ここで話を締めくくった。既に長くなったので、この後に続く栗原さんのプレゼンと討議については、「後編」で報告しよう。

以上

 

(本件で述べられている意見はすべて竹中正治の個人のものです。)



[1] Bert Elyさんは金融問題を得意分野とするエコノミストで、昨年6月にNECNational Economist Club)で「日本経済崩壊論」を講演し、出席していた私が「そんなことにはならない!」と「かみついた」経緯がある。それ以来Bertさんとは「親しく」なった。(参照、200310月裏版「プライベートは別の顔」)

[2] 政府による旧長銀の売却過程の拙さ、奇妙さは私も大いに批判したいが、今更それを言っても「悔しがっているだけ」と米人に思われるから言わない。しかし私が株の投資家であったら、新生銀行の株は絶対買わない。

[3] David Oliveさんは、10年以上前の日米半導体戦争の時に、米国国務省の高官として日本を相手に戦った人である。国務省を退官後は、なぜか富士通アメリカの所長に就任し、今は日本企業の味方で働いている。90年代の日本半導体の凋落で、叩き過ぎたと反省しているわけでもなかろうが、私などに対して大いに励ましてくれる。この辺が、ワシントンの米人の面白いところである。 

[4] 過去20年間の恐竜学の進歩は、かつての鈍重、低脳な生物という恐竜のイメージを刷新した。敏捷なもの、集団で狩りをするもの、コロニーをつくって子供を育てるものなど高度でバリエーションのある進化を恐竜は遂げていた。ただしここでは「時代遅れの」という旧来型の例えで「恐竜」を使っている。恐竜さん、すみません。